ドリアーテは人間になっていました

grandrevue2006-07-16

 白井晃さんの一人芝居『アンデルセン・プロジェクト』観劇。去年の秋にオープンした劇場(兵庫県立芸術文化センター)は、すごくきれいで、ホールの床が板張りで、ぬくもりが感じられた。因みに、中ホールやったんやけど、大ホールでは、佐渡さん指揮の、『蝶々夫人』やってたよ。

・プロジェクターって、こんなに効果的に使えるんやと思った(さすが映像の魔術師・ロベール・ルパージュ)(『薔薇の封印』とかねw)。スプレーで壁に落書きしたりとか、うまいなーと。セットの転換も早かった。
アンデルセンとフレディは、時々交錯(というかシンクロ)する(この2人を演じる時は、衣装も髪型も変えないので余計に)。その醜さと不器用さ故に、幼少時にいじめられたアンデルセンアルビノ(「白子」って言われてた)だから、やはりいじめられたフレディ。2人は子どもが嫌い。
・関わりがないようにも思えたアルノーも、同性愛者という点(ニュアンス的には、「男色」やった)で、アンデルセン(隠れゲイなんやって)とつながる。デンマーク出身で、ヨーロッパの各都市を回り、パリに憧れたアンデルセンと、モロッコから移民として来たラシド。文章にしてみてやっとわかった。確かに「アンデルセン・プロジェクト」。アンデルセンの生涯を追っただけではなく、現代の物語としての作品。←アフタートーク聞いたおかげで、わかったことも多いね。
・ラストに語られる「アンデルセンの童話では、強い欲望や憧れを抱いた人間は、必ず罰せられ、動物だけが子供を産み幸(うまくいってない)は友達とくっつく。アルノーもまた、妻が娘を連れて、親友の許へと走った。
・前述のセリフのように、現実に人間が必ず罰せられるのなら、恋人とやり直すことを求めたフレディには、火事で焼死、男色の性癖をまた表側に出してしまったアルノーには、妻と娘との別離という罰が与えられたのだろうか。
・劇中で語られる『影』の話も印象的。怖い。
・アフタートークで言ってはったけど、翻訳劇をやる場合、どうしても言語や文化の違いがあるので、わかりにくいことがあるよね。今、話題になってるジダンの問題も、移民をほとんど受け入れていない日本に住まう者としてはピンと来ないし。「言語のねじれ」っていうのも理解しがたいもん。難しいなー。
・とはいえ、こんなに舞台を観て考えたのは久しぶりやし、自分としては良かったです。
2時間強のお芝居で、膨大なセリフを操った白井さんもすごい。